東海大相模高校野球部の原俊介監督と、青山学院大学陸上部の原晋監督がそっくりで兄弟みたいと話題になっています。
今回は、東海大相模高校野球部の原俊介監督と、青山学院大学陸上部の原晋監督は兄弟なのか調査していきます。
東海大相模高校野球部の原俊介監督と、青山学院大学陸上部の原晋監督がそっくり
東海大相模高校野球部の原俊介監督と、青山学院大学陸上部の原晋監督がそっくりだと話題になっています。
(画像左:東海大相模高校野球部の原俊介監督、画像右:青山学院大学陸上部の原晋監督)
同じくスポーツの監督をしていることや名字が一緒という点でも兄弟なのではと噂されています。
東海大相模高校野球部の原俊介監督と、青山学院大学陸上部の原晋監督が兄弟はデマ
東海大相模高校野球部の原俊介監督と青山学院大学陸上部の原晋監督が兄弟というのはデマだと思われます。
以下の理由から兄弟説がデマだと思われます。
- 出身地が違う
- 「原」という名字の人はたくさんいる
- 父親の特徴が違う
それぞれ詳しくみていきましょう。
デマである理由①:出身地が違う
東海大相模高校野球部の原俊介監督と青山学院大学陸上部の原晋監督の兄弟説がデマである理由1つ目は【出身地が違う】です。
- 東海大相模高校の原俊介監督の出身地は神奈川県秦野市
- 青学の原晋監督の出身地は広島県三原市
お二人は出身地が違います。
神奈川県と広島県で距離的にも離れており、幼少期に引っ越したという情報もありませんでした。
複雑な事情がない限り、兄弟ではなさそうです。
デマである理由②:「原」という名字の人はたくさんいる
東海大相模高校野球部の原俊介監督と青山学院大学陸上部の原晋監督の兄弟説がデマである理由2つ目は【「原」という名字の人はたくさんいる】です。
原俊介(はら しゅんすけ)
原晋(はら すすむ)
名字が同じという点でも兄弟の噂が流れましたが、「原」という名字は、日本で比較的多い名字の1つです。
全国的に見ると、「原」という名字を持つ人は約70,000人前後いると推定されます。
単に同じ名字の人同士で顔が似ていたというだけだと思われます。
デマである理由③:父親の特徴が違う
東海大相模高校野球部の原俊介監督と青山学院大学陸上部の原晋監督の兄弟説がデマである理由3つ目は【父親の特徴が違う】です。
東海大相模高校野球部の原俊介監督の父親は原康夫さんという方で69年夏の甲子園で東海大相模校初出場時に主将を務めました。
東海大相模校の監督になり甲子園へと導いた原監督の姿をアルプス席で観戦していました。
一方で原晋監督の父親についてはあまり明らかになっておりませんが、父親も教員だったと述べていました。
特徴の違いやメディア露出の差からも原俊介監督と原晋監督の父親は別の人だと思われます。
よって、お二人が兄弟である可能性は低いと考えられます。
監督の経歴・プロフィール
原俊介監督と原晋監督が兄弟でないことは分かりましたが、お二人とも素晴らしいスポーツ指導者であることには変わりありません。
原俊介監督も原晋監督も熱い監督として有名なようですので、性格的にも似ている部分があるのかもしれません。
東海大相模高校野球部の原俊介監督プロフィール
- 名前:原俊介(はら・しゅんすけ)
- 生年月日:1977年8月30日
- 出身地:神奈川県秦野市出身
高校時代はキャッチャーで活躍し3年春にセンバツに出場するも、夏は5回戦で横浜に敗れました。
出典:野球コラム
1996年:ドラフト1位で巨人に入団
2003年:プロ初打席初ヒットをマーク
2006年:現役引退後、早稲田大で教員免許を取得
2016年:東海大静岡翔洋の監督に就任
2021年9月〜:母校の東海大相模の監督を務める
青山学院大学陸上部の原晋監督プロフィール
- 名前:原晋(はら すすむ)
- 生年月日:1967年3月8日
- 出身地:広島県三原市
原晋監督は中学から陸上競技を始め、広島県立世羅高校では主将として全国高校駅伝で準優勝を果たしました。
その後、中京大学に進学し、日本インカレの5000mで3位に入賞。
青山学院大学陸上部の監督として、箱根駅伝で5連覇を含む7回の総合優勝を達成し、三大駅伝の完全制覇を果たすという異例の結果を残しています。
現在は監督業だけでなく、テレビ出演などタレントやコメンテーターとしての活動。
さらに企業の社外取締役にも就任するなど、ビジネス界からも注目されています。
まとめ
今回は、東海大相模校野球部監督と青学の原監督が兄弟というのはデマ!顔がそっくりなだけだったについてまとめました。
以下の理由から兄弟説はデマだと思われます。
- 出身地が違う
- 「原」という名字の人はたくさんいる
- 父親の特徴が違う
ですがお二人とも実績のある素晴らしい監督であることには間違いありません。