フジテレビのドンと言われる名誉会長の日枝久(ひえだ ひさし)さん。
ネットの検索窓にある「日枝久 3大タブー」とは何のことでしょうか?
今回は、
「日枝久 3大タブー」とは何?
について調査していきます。
「日枝久 3大タブー」が話題
出典:Yahoo!ニュース
フジテレビの名誉会長である日枝久(ひえだ ひさし)さんを検索すると「日枝久 3大タブー」と検索窓に出てきます。
「3大タブー」とは一体何のことなのでしょうか。
ポリネシア語の[tabu][tapu]を語源とし、口にしたり、触れたりしてはならない物や行為などのこと。
フジテレビの口にしてはいけないことがあるのかもしれません。
「日枝久の3大タブー」とは何
「日枝久の3大タブー」とは以下の3つのことだと言われています。
- とんねるずとの特別な関係
- 女子アナ採用における不透明さ
- 鹿内家へのクーデター
日枝久の3大タブー①:とんねるずとの特別な関係
日枝久さんの3大タブー1つ目は【とんねるずとの特別な関係】です。
日枝久さんは、1980年代半ば、フジテレビ編成局長として『夕やけニャンニャン』でとんねるずをブレイクさせました。
とんねるずの成功が、日枝さんの出世を後押ししました。
日枝さんにとってとんねるずは「恩人」であるため、
番組の視聴率が低迷しても番組は打ち切られることがなく、ギャラも破格のまま継続しました。
この関係が「特別扱い」と見なされ、局内で批判されることもありますが、触れにくい話題とされています。
日枝久の3大タブー②:女子アナ採用における不透明さ
日枝久さんの3大タブー2つ目は【女子アナ採用における不透明さ】です。
日枝久さんがフジテレビのトップだった時代、
女子アナウンサーの採用において、実務能力以外の基準が重視されていたとされています。
日枝久さんの「好み」で採用が決まるが決まると噂され、「大奥」とも言われていたようです。
これは、パワハラやセクハラとも取られかねない、現代では有されない行為です。
不公平な採用基準が企業倫理に反すると指摘される一方、当時のフジテレビではタブーとされていたようです。
日枝久の3大タブー③:鹿内家へのクーデター
日枝久さんの3大タブー3つ目は【鹿内家へのクーデター】です。
1988年、フジテレビ創業家の長男・鹿内春雄さんが急逝。
その後、日枝久さんは反鹿内宏明派の中心となり、1992年に宏明氏を会長職から解任するクーデターを主導しました。
このクーデターで鹿内家の影響力が排除され、日枝さんがフジグループの実権を握ることに成功したと言われています。
以降、表舞台から退いた後も「院政」を敷き、フジテレビの経営に強い影響を持ち続けています。
日枝久とは
日枝 久(ひえだ ひさし)氏は、1937年12月31日生まれの日本の実業家で、フジサンケイグループの代表として知られています。
早稲田大学教育学部を卒業後、1961年にフジテレビジョンに入社。
入社当初は労働組合の書記長として活動。
1980年5月に42歳の若さで編成局長に就任。
1988年6月には代表取締役社長に昇進し、以降、会長やCEOなどの要職を歴任。
日枝久さんは、フジサンケイグループ内でのガバナンス改革を主導し、1997年にはフジテレビを東証一部に上場させるなど、経営手腕を発揮しました。
また、公益財団法人彫刻の森芸術文化財団の理事長や、東京文化会館の館長など、文化・芸術分野でも活躍しています。
黄金時代の立役者
日枝久さんはフジテレビというブランドを確立した人物でもあります。
日枝久さんが経営に携わっていた1980年代から1990年代にかけては、黄金時代とも呼ばれ様々な人気番組が誕生しました。
- 「笑っていいとも!」
- 「東京ラブストーリー」
- 「めちゃ×2イケてるッ!」
バラエティでもドラマでも高視聴率を獲得していたようです。
日枝久さんは、テレビ業界における実力者のようです。
まとめ
今回は、日枝久の3大タブーとは?女子アナウンサーの採用は好みだった?についてまとめました。
3大タブーとは以下の通りです。
- とんねるずとの特別な関係
- 女子アナ採用における不透明さ
- 鹿内家へのクーデター
今後のフジテレビに注目が集まります。