NHK大河ドラマ『光る君へ』が最終回を迎えました。
ラストシーンでのまひろのセリフ「嵐が来るわ」とは何を表しているのでしょうか。
今回は、
ラストシーンでのまひろのセリフ「嵐が来るわ」とは何を表しているのか
調査していきます。
NHK大河ドラマ『光る君へ』最終回が話題
NHK大河ドラマ『光る君へ』は、2024年1月から12月まで放送される第63作目の大河ドラマです。
平安時代中期を舞台に、紫式部の生涯を描いています。
- 主演:吉高由里子
- 脚本:大石静
作中では『源氏物語』の執筆や、藤原道長との関係が「ソウルメイト」として描かれます。
この作品は、平安貴族社会の権力闘争や人間模様を深く掘り下げており、女性主人公の大河ドラマとしては7年ぶりに制作されました。
ラストシーン
NHK大河ドラマ『光る君へ』のラストシーンでは、年齢を重ね白髪が交じったまひろ(紫式部)が、従者の乙丸とともに旅へ出ます。
その途中で、若き武者・双寿丸と再会。
彼が戦乱の時代に向かう姿を見送りながら、まひろは「道長さま、嵐が来るわ」と呟き物語は幕を閉じました。
まひろのセリフ「道長さま、嵐が来るわ」は何を意味しているのでしょうか。
【考察】まひろのセリフ「嵐が来るわ」は何を意味していたのか
まひろのセリフ「嵐が来るわ」は何を意味していたのかネット上では様々な考察がなされています。
- 貴族政治の限界
- 戦乱の時代への伏線
- 崩壊の予兆
考察「嵐が来るわ」の意味①:貴族政治の限界
まひろのセリフ「嵐が来るわ」の意味として考えられるもの1つ目は【貴族政治の限界】です。
『光る君へ』のラストシーンの背景には、貴族政治が限界を迎え、武士が地方統治を担う新時代の幕開けが描かれていると考えられます。
平忠常の乱を皮切りに地方では大規模な内乱が続発し、従来の朝議や閨閥中心の貴族政治はもはや機能しなくなります。
一方、武士の若々しさや実務能力が時代の主役へと移りつつある象徴として、双寿丸が描かれています。
まひろの「嵐が来るわ」という言葉は、この変革を見据えた予感として深い意味を持ちます。
平忠常の乱は大規模なものではありませんでしたが、地方での武士の勢力拡大を象徴するものであり、武士が徐々に力をつけていく兆しとも言えるでしょう。
考察「嵐が来るわ」の意味②:戦乱の時代への伏線
まひろのセリフ「嵐が来るわ」の意味として考えられるもの2つ目は【戦乱の時代への伏線】です。
このセリフは、戦乱の時代(鎌倉幕府成立など)への伏線と解釈できます。
- 平忠常の乱
- 前九年合戦
- 後三年合戦
- 保元の乱
- 平治の乱
- 鎌倉幕府成立
「嵐」は道長の死後の貴族社会の弱体化や、後の保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)を経て武士政権が登場するまでの不安定な時代を暗示しているとも解釈できます。
考察「嵐が来るわ」の意味③:道長の新たな一面
まひろのセリフ「嵐が来るわ」の意味として考えられるもの3つ目は【道長の新たな一面】です。
道長は一時代を築いた権力者であると同時に、漢詩や和歌を愛する文化人としての側面もありました。
道長の治世の安定が、紫式部や清少納言といった女流作家たちが活躍する文化的隆盛を可能にしたと考えられます。
「女流作家が活躍した時代を道長がつくった」とも取れると考えられます。
このセリフは、その道長が創出した平安文化の頂点と、その後の変革を同時に暗示しているのかもしれません。
「嵐が来るわ」というセリフは最初から決まっていた
大きな話題となった「嵐が来るわ」というセリフは最初から決まっていたそうです。
最初から、ラストシーンは、『道長様、嵐が来るわ』って言って終わりましょうっていうのは決まっていたんです」
引用:産経新聞
1年にわたり描かれてきた物語は、双寿丸(伊藤健太郎)ら武者とすれ違ったまひろが、「道長さま、嵐がくるわ」とつぶやき、幕を閉じた。
道長が亡くなった翌年に平忠常の乱が起きるという点に着目し、まひろが武士の時代の気配を感じて終わるような演出を考えていたそうです。
視聴者の感想
「光る君へ」の放送後は毎回Xでトレンド入りしているように人気の大河ドラマでした。
最終回後もたくさんの感想で溢れていました。
「嵐が来るわ」というセリフとともに画面がストップする演出も高評価だったようです。
まとめ
今回は、【光る君へ最終回】まひろのセリフ嵐が来るわの意味が深すぎた!についてまとめました。
このセリフには以下の意味が隠されていると考察されています。
- 貴族政治の限界
- 戦乱の時代への伏線
- 崩壊の予兆
「嵐が来るわ」というセリフは、紫式部が直接見ている未来の出来事ではなく、平安時代の華やかさの裏で潜在的に存在する「崩壊の予兆」を象徴する文学的表現と考えられます。
歴史的に見れば、戦乱や武士の台頭が本格化するのは200年後ですが、この時代の動乱はそれに向けた最初の兆しだったと言えるでしょう。